今回お話しする事件は
一家バラバラ事件
首練馬一家5人殺害事件
です。
犯人の異常性が常識を超えた事件です。
本記事は全部で3ページ存在します。
- 概要から事件の流れ
- 裁判からまとめ
- 常軌を逸した犯行様子
3ページを載せるかどうかは悩んだが、この事件を忘れないためにも載せさせていただきます。もちろん綺麗ごとです。理解はしています。
なお、この事件の全容は1~2ページで十分に理解できます。
練馬一家5人殺害事件の概要
練馬一家5人殺害事件は1983年6月27日に東京都練馬区大泉学園町で起こったバラバラ殺人事件。
一人の男が、不動産競売での取引を巡った争いから引き起こした。
子供を含む6人家族のうち5人を殺害し、夫の遺体を肉挽き機にかけてバラバラにし、遺棄した。
犠牲者の中には1歳の子もおり、日本犯罪史の中でも特に残虐性の高い凶悪事件。
犯人には死刑判決が下され、2001年に21世紀初の死刑が執行された事件。
- 被害者: 5人
- 犯人: 朝倉幸治郎(事件当時48歳、死刑執行済)
事件の犯人「朝倉幸治郎」と生い立ち
この事件を引き起こした犯人「朝倉幸治郎」についてお話をしていきます。
生まれから事件の被害者たちとの関係性まで、簡単にお話していきます。
- 複雑な家庭環境
- 彼の性格
- 良くない学力と遺産問題
- 人生のやり直しと不動産鑑定士
- 被害者との関係
この3つをお話していきます。
複雑な家庭環境
朝倉幸治郎は1935年に精肉・養豚・市場を営む資産家の父親の元で生まれた。
父親はかつて出稼ぎで日本各地を渡り歩き、その際に暴力団と関係を持つなど暴力的で喧嘩早い性格であった。
喧嘩では出刃包丁や刀を振り回したり、夫婦喧嘩では殴る・蹴るなど家庭内暴力が当たり前のような家庭であった。
そんな父親の元で朝倉は
- ボクシングに通わさられる
- 市場の場所代回収
などを父親からやらされたりしていた。
彼の性格
朝倉は高校時代には「父親に反抗したことがない気弱な少年」のような印象で、周りからも「普段は口数が少なく目立たない少年」といった性格であった。
また、父親が愛人の元で贅沢に暮らし、自分たちを放置するような生活であったので、「長男として父親代わりを努めなければならない」と必死に弟たちを食べさせるなどの一面もあった。
ただ、市場の場所代取り立てが滞ると「血相を変え、容赦なく相手を「命に代えてでも金を払え!!」と脅迫する」という父親に似た性格も持っていたという。
大学入学と結婚
朝倉は高校を卒業後、日本大学法学部に入学。
在学中に下宿先の1つ年下の娘と出会い、大学卒業後の1959年に結婚。
同年に交通死亡事故を引き起こし、その翌年に長女が誕生し、1962年に長男が誕生している。
家族仲は良好で、妻は事件が起きるまで朝倉を常に助け、朝倉も愛称で呼ぶなど、文章だけで見てもその仲の良さは伺える。
遺産問題と兄弟間での争い
朝倉の学力はそこまでよくなく、日本大学法学部には父親が裏口入学をさせている。
大学卒業後は父親の経営する会社に就職して働いていた。
1959年に朝倉の父親が死去し、兄弟の間でその遺産分配について揉めることに。
そして、1961年9月10日に遺産に関して実弟を包丁で切りつけ、殺人未遂で逮捕される。(弟さんは左目を失明)
朝倉は懲役3年を言い渡される。
人生のやり直しと焦り
3年の服役後、朝倉は妻と子供の待つ東京に引っ越し、そこで人生をやり直すために不動産販売鑑定所に就職。
1970年の40歳の時には不動産鑑定士の資格を取得し、1976年に独立をした。
独立してからも妻の手助けもあり、仕事は順調で生活も安定していった。
ただ、人間は必ず老いるものであり、老いれば仕事は出来なくなる。
不調で入院し、病院内で事務仕事をしていた妻の姿を見て朝倉は
長く苦労をかけた妻にも楽をさせてやりたい。2人の子供の結婚・就学費用も必要
と考え、「父の遺産で2500万円ほどの資金」を作った。
もちろんこれで終わりではなく、朝倉は不動産取引でまとまった資金を手に入れようとしていた。
そして、その最初の取引として選ばれたのが、被害者一家の家であった。
被害者の家で一攫千金を
被害者の家は複雑な事情があり、
- 抵当権: 2億1000万円
- 所有権が再三移転
という「不良物件」で、不動産取引業者は誰も手を出さない物件でした。
朝倉はこの物件を買い取り、それを転売すれば儲けを得れると考えていた。
ややこしい物件事情
管理人も、この事件の原因と言える「物件事情」を理解するのが難しかったです。
ていうか、記事を書いているときもそこまで理解できていない気がする。
という訳で誤解覚悟で今回の事件の原因を解説していきます。
朝倉はこの問題物件を買い取るために「1億4500万円」の融資を受けた。
被害者の物件を「1億600万円」で落札。
落札後に、新宿の不動産業者に「1億2950万円」で引き渡しをする予定だった。
この「引き渡し期限と融資返済期限」が同じ6月30日であった。
売却が失敗すれば違約金が「3000万円」、融資返済で「1億4500万円以上+金利毎月100万円×4か月」というダブルパンチ。
成功すれば1000万円以上を稼げる予定だった。
ただ、被害者一家は家が売却された後も暫くは住む権利があり、その期間は6月30日を普通に超えていた。
引き渡しの成功には「被害者一家が6月30日までに物件を立ち退く必要」があった。
そこで、朝倉は被害者一家と立ち退き交渉をしていたが難航。
そして、この立ち退き交渉も色々と問題があったそうです。
事件の流れ
では、この事件の一連の流れとその悲惨な内容について解説をしていきます。
- 難航する立ち退き交渉と犯行決意
- 殺害計画
- 妻と子供たちの殺害
- 夫の殺害
- 死体損壊と遺棄
の順番で話していきます。
難航する立ち退き交渉と犯行決意
朝倉と被害者の立ち退き交渉は全くうまくいきませんでした。
朝倉が立ち退き裁判を起こすと被害者は
裁判を取り下げれば、すぐにでも引っ越しをします
と裁判を取り下げさせたが、全くの嘘。
頑なに立ち退きをしなかったのは、被害者の妻の父「和田」の指示。
和田は不動産取引のベテランであったが、会社を倒産させ、そのカタでこの物件が競売にかけられていた。
ただ、和田はこの競売にかけられた家に被害者一家を住まわせて、立ち退き料を釣り上げる作戦を考えた。
その立ち退き料を元手に新しい事業を起こそうとしていた。
なので、朝倉に当時500万円が相場の立ち退き料に対し、3000万円というアホみたいな金額を要求。
そんな状況に対し、朝倉は苛立ち、
このままでは破産してしまう。殺してやる。一家全滅させてやる
と考え、一連の事件を計画し、実行した。
殺害の計画
事件発生の5月下旬。
朝倉は殺人計画を立てたが、完全犯罪でなければならなかった。
死体を富士山麓の樹海に捨てるために、車を購入し、自動車教習所で練習。
また、天気が悪かった時のための一時的な死体の隠し場所として、1DKのマンションをつき10万円で借りた。
そして、6月27日。
朝倉は白井家のすぐ近くに車を止め、
- 手提げバッグ
- 中に金づち2本(1本はすぐ取れるように外側のポケットに)
- 着替え用のトレーニングウェア上下
を持って白井家に歩いて行ったのであった。
妻と子供たちの殺害
午後2時45分ごろ、朝倉は白井家の勝手口で幸子さんに
今日も明け渡しの件で来ました
と、いつも通りの言葉で書けたが、幸子さんは主人がいないのでと言い放った。
すると、朝倉は凄んでこう言い放った。
個々の土地や建物は私のものだ。一体、いつになったら立ち退くんだ。
幸子さんはその言葉を無視し、奥の居間に引っ込んだが、朝倉は後を追いかけた。
- 居間の食事テーブルの脇に幸子さん、次男の正利君(1歳)
- 居間の玄関より出入り口のところに、三女の昌子ちゃん(6歳)
が立っていたが、朝倉は「話し合う余地はないんだな!」と叫び、金づちを取り出し幸子さんの頭めがけて勢いよく振り下ろした。
幸子さん | 金づちで殴られた幸子さんは「痛い、痛い」と呻きながらダイニングに逃げた。 その後を追いかけてきた朝倉に最低で5回頭を殴打され、頭蓋骨が砕けて死亡。 |
正利君 | 幸子さんの後を追いかけるようにしてダイニングに入り、母の胸に両手を当てて泣いていた。 泣き声が外に漏れるとまずいと判断した朝倉が金づちで殴打。 母の上に重なるように倒れて死亡した。 |
昌子ちゃん | あまりの状況で恐怖のあまり顔色を変え、両手を震わせながら放心状態であった。 朝倉は居間に戻り、昌子ちゃんの頭を殴打。 「苦しい・・・」と呻きながら仰向けに倒れた昌子ちゃんの首を2分ほど絞めて殺害。 |
朋子ちゃん | 午後3時過ぎに帰ってきたが、何も知らなかった彼女は居間のソファーに座っている朝倉を無視して2階に上がろうとした。 その時、朝倉が前に立ち塞がり、首に両手をかけて吊り上げ気味に絞めつけた。 朋子しゃんも抵抗はしたが、1分ほどでぐったりとして死亡。 朝倉は床に寝かせると、近くにあった掃除機のコードで念を入れるように首を絞めつけた。 |
殺された4人は浴槽に入れられ、蓋をして隠されたという。
また、この時長女だけは林間学校で難を逃れていた。
夫の殺害
4人を殺害した朝倉は主人の明さんを殺害しようと準備した。
夫の明さんは外で一杯飲んでから夜の9時半ごろに帰宅。
居間に入ったところ、ソファーに座っていた朝倉が「明け渡しの件」といい、食事用のテーブルにお互い腰かけた。
朝倉は明さんの態度を警戒しながら
私の方は事態が切迫しているんだ!!
と言い放って立ち上がり、一緒に立ち上がった明さんの鳩尾を殴った。
ボクシング経験者の強烈なパンチに思わず前かがみになった明さんに対し、朝倉は服の下に隠していたまさかりで一撃を加えた。
左首を切られ、地面に倒れた明さんは四つん這いで立ち上がろうとしたが、朝倉はもう一度左首めがけてまさかりを振り下ろした。
その一撃で明さんは死亡してしまった。
死体損壊と遺棄
こうして5人を殺害した朝倉は、犯行がばれないように遺体をバラバラにして遺棄しようと実行。
返り血が付いた部分を水洗いし、遺体の服をはぎ取って浴室の中に隠した。
ただ、その時には午後10時を回っており、音が外に漏れることを恐れて夜明けに死体を解体しようと夜明けまで待ったという。
そして、午前4時半過ぎに車から解体道具を持ち、遺体をバラバラにして遺棄するための準備をしていた。
だが、途中で疲れが出てきたこともあり、解体作業を午前7時に中止し、体を洗ってから今のソファーで横になって一休みしていたという。