こんにちは^^タクヤンです。
今回お話しするのは
テッド・バンディ
です。
容姿端麗で大量の女性を殺害したアメリカの有名なシリアルキラーの1人です。
テッド・バンディとは?
テッド・バンディはアメリカにかつて実在したシリアルキラーの1人でアメリカ史上最悪な殺人鬼ともいわれています。
1946年11月24日~1989年1月24日の享年43年。
犯罪は1974年~78年の4年間で恐ろしい数の女性を殺害し、遺体に性的暴行を加えていたという想像を絶する犯罪を犯して逮捕された後10年間もの間犯行を否定しつづけた。
IQは124ともいわれており、いわゆる正常値なIQではあるが人格は正常ではなかったという男でもあります。
テッド・バンディは死体を犯した男
先ほども述べた通り彼は女性を殺害するだけでなく意識を奪ったりして性的暴行を加えるほか、遺体を切断して犯し、さらには切り取った口を犯すなど正気を疑うほどの性的暴行を加えるなどの犯罪行為を行っている。
常人には理解できない異常性癖なのが分かる。
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テッド・バンディの殺害人数とその手口は?
そんな彼は殺害人数は一説には1000人以上と言われているが実際には30人以上と言われているそれでも4年間で行われた人数にしては最悪な数ともいえるでしょう。
被害者の女性には特徴があり、
「髪を真ん中で分けた黒髪の若い女性」
そしてその犯行手口は彼の「容姿」や「喋り方」で若い女性などを言葉巧みに騙して無防備になった時に殴りつけて意識を奪うというシンプルな手口。
どうしてこんなにも上手く犯罪が行われているのか?
それは地元紙の彼の話にあり、地元紙は彼のことをこう評価している。
知的でハンサムで愛嬌のある青年
そんな人間がまさかシリアルキラーなんて誰が想像できようか・・・。
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恐ろしさとは無縁の表の顔
そしてそんなハンサムで知的な男と言われている彼の表向きな顔はワシントン州の共和党員として州知事選挙活動に参加しており、「彼なら州知事や連邦上院議員」にもなれるという評価も得れるなど政治活動も行っている。
さらに彼は大学で専攻していた心理学の知識を活かしてカウンセリングやボランティア活動など社会的に奉仕も行っている。
さらにこの時期には水難事故でおぼれた子供を救助し、地元警察に表彰されている。
表の顔は立派だがその裏の顔があまりにも恐ろしくギャップが激しい男でもあります。
誕生と歪んだ人格の形成
そんな彼の歪んた人格を形成したのは彼の幼少期にあるといわれています。
彼は戦後の1946年11月24日にバーモント州バーリントンに私生児として生まれましたが、私生児とは婚姻関係のない男女間で生まれた子供のことで、つまりバンディの父親は全くの不明です。
そして彼は9歳までフィラデルフィアで祖父と母と過ごしていたがその祖父がかなり気性が激しく暴力的でさらにバンディが私生児という不名誉を隠すために「母親の弟」として周囲に刷り込まれていた。
そして彼は叔母が寝ている時にその横に立ち、笑いながらナイフで威嚇するなどこの時から異常な性格になっていた。
その後はワシントン州で生活していたがこの頃にはバンディは母のことを完全に姉と考えていたといわれている。
そして彼が高校生の頃にはボーイスカウトなどの活動は熱心ではあったが内気で内向的な人間でもあったとなっている。
しかし卒業する前から万引きや窃盗などは行っており、さらには残虐な性描写を映しているスナッフフィルムのファンでもあった。
性行為に対してはこの時期からおかしなことになっているのが分かる。
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逮捕とその逃亡
そんな彼は1974年にユタ州マリに住んでいた18歳の女性を狙いに付けたが、その女性は彼を不審に思い、被害に会う前に逃げることに成功、警察に駆け込み被害を訴えた。
そして彼は1975年に彼は車で走行中に逮捕、1週間の裁判後、1~15年の禁固刑を受けた。
しかし検察は連続殺人事件の件で彼はコロラド州の裁判所に移送された。
そこで裁判所内の図書館に入室が許可されたがそこの2階から彼は逃亡、しかしその時に足首を痛めており1週間後に逮捕されている。
再逃亡と殺人
しかしながら逮捕された彼はなぜか弓鋸を持っており彼は天井に穴を開けて逃走し、さらに車を盗んで逃亡。
その後彼は友人からもらった500ドルでフロリダ州タラハッシーで偽名を用いて過ごしていた。
しかしそこにあったカイ・オメガ女子寮で睡眠中の女子生徒を襲い2人が死亡、2人が重傷という被害を生んだ。
事件後彼はレークシティーに逃亡、そこで12歳の少女が性的暴行を受け最終的に溺死させられて小屋の下に遺棄されたが、幸か不幸かこの少女が最後の被害者となった。
そして彼はその1週間後に盗難車の容疑者と逮捕され、偽名を頑なに強調し不当逮捕と言い張ったが身元が判明し、逃亡後の事件の裁判の為にマイアミに移送された。
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死刑判決と送られたファンレター
再逮捕された彼は1979年の6月25日~7月31日に第二審が開かれたが、彼は弁護人には頼らず自分で自分を弁護した。
さらに公判中に昔の職場の同僚の女性と結婚して一子を設けて離婚している。
また、死刑執行までの間彼には数百にも及ぶファンレターを貰っている。
そんな彼の判決は当然死刑判決であったが、彼はそんな死刑判決を覆そうと最後まで悪あがきをしていた。
あるときにはFBIの調査資料を手に入れるためにFBIの心理学者との面会をしたりもした。
しかしこの企みは失敗し、面会中ものらりくらりで真実は話さなかった。
そして死刑執行の3~4日前になると彼は無罪・冤罪を主張していたが一転して罪を認めて全て話すと言った。
この時彼はわざと曖昧に話して、「死刑を延期さえすればすべて話せる・・・」と執行日を伸ばそうという苦肉の策でもあった。
しかしこの訴えも当然認められず、予定日に電気椅子に座ることになった。
テッド・バンディの死刑執行の日
死刑執行日の朝、死刑を行う場所には大量の人が集まって彼の死刑執行の瞬間を心待ちにしていた。
中には彼に対する暴言を書いた紙も掲載され、彼に対する恨みなどが伺える。
そしてカウントダウンが始まり、1989年1月24日午前7時6分にフロリダにある電気椅子で彼は42歳で処刑された。
2000ボルト以上の電圧を2分間加圧され、午前7時16分に死亡が確認された。
しかしその翌日、彼の死を信じない人間が多くいたので新聞の一面には彼の遺体写真がカラーで「殺人鬼は微笑みを浮かべ死んだ」というタイトルで大きく掲載されるまでとなった。
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終わりに
こういった殺人鬼を調べていくとなんとなく分かりますが皆大抵は幼年期などの幼い時に狂った人格が形成されていってますね。
同じようなシリアルキラーで「ヘンリー・リー・ルーカス」などが存在しますが彼も同じような境遇で育っています。
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