今回お話するのは
人体を使った料理?
手首ラーメン事件
です。
さすがにこんなことされたらしばらくラーメンを食べれなくなりますね・・・・。
手首ラーメン事件とは?
手首ラーメン事件は以下のような都市伝説のことです。
ある屋台で振舞われていたラーメン。このラーメンの味は素晴らしく、「良い出汁」で評判でした。しかし、その「良い出汁」には秘密がありました・・・・・。 それは「ある事件で切り落とされた暴力団員の手首を煮込んで作った」というものであった。手首はどろどろになり原型はなくなったが、爪だけは運良く残り、ラーメンの中に入っていたことから事件が発覚した・・・・・・。
という、普通に考えたら「爪も溶けるだろ」と言えるような都市伝説。
実際この話は作り話っぽいんですが、モデルとなったのは実際に発生した事件です。
1978年(昭和53年)7月5日に東京都中野区で発生(発覚)したバラバラ殺人事件。
広域暴力団の幹部が縄張り争いと権力闘争から、同じ組織の幹部を殺害した事件です。
そして、その遺体をバラバラにし、一部をラーメンの中に入れたという証言をした事件でもあります。
- 犠牲者: 1名
- 犯人: 5名(主犯格は1名)
事件の流れ
ここでは手首ラーメン事件の一連の流れについてみていきましょう。
- 事件発生
- 遺体発見
- 遺体の処理
- 事件の判決
この順番で見ていきましょう。
事件発生
1978年7月5日に赤坂署は広域暴力団の住吉連合のK会の幹部A氏(当時29歳)。
このA氏と同じ暴力団組織の幹部B氏(当時30歳)。
この二人は
- 組長代行のポスト
- 資金源の一つ屋台ラーメンの縄張り
を巡り、日ごろから両者の間では対立から抗争が起きていました。
そこで、Bは部下4人と共謀してA氏を殺害し、遺体を処理して遺棄しました。
遺体発見
事件発生後、赤坂署が彼の遺体を岡山県と兵庫県の二か所の山林で発見。
この遺体は腐乱しており、頭部・胴体・両手・両足がバラバラにされた状態でした。
腐乱状態で身元の判別は困難と思われましたが、胴体の背中にあった「天女」の入れ墨から幹部A氏と判明。
ただし、発見された遺体の中に「両手」はありませんでした。
遺体処理
前述の理由による殺人容疑で逮捕されたBに対し、警察は激しく追及。
「両手首をどこにやったのか?」
この質問に対し、Bは
指の指紋から身元の発覚を恐れた。だから、指紋を取られないように両手首を切り取って持ち帰った。ただ、両手首の始末に困ったので、部下の屋台ラーメンに使用した。 出汁に両手を入れて溶かし、残った骨は金槌で粉砕して捨てた
と驚愕の答えを返しました。
事件の判決
事件後逮捕されたBとその部下4人には、以下の判決が下されました。
- 主犯格B: 懲役17年
- 部下4人: 懲役8~12年
当初Bには無期懲役が求刑されていたので、それを考えると大分刑が軽くなっていますね・・・・。
ましてや、遺体の一部をラーメンの素材にしてそれを振舞うというテロ行為。
実際に振舞われたかどうかは後述しますが、懲役17年は軽いのでは?
手首のラーメン混入は事実か?
この件を受けて管轄の赤坂署は当初こう発表しました。
犯人の男性は
手首で出汁をとったラーメンを販売する屋台は東京都・荒川区周辺で動いたが、チャルメラは吹かなかったし、ネタもなかったので客にラーメンは出さなかった
と自供をしたのを赤坂署は信じて発表しました。
犯人の言っていることが正しければ、「ラーメンに手首」という話は嘘にはなります。
事件の影響
当然、この事件を受けて東京都はパニックになりました。
「食べたラーメンの中に人体がはいっていたのでは・・・・」
屋台の利用者は警察に問い合わせまくり、この年のラーメン業界の売り上げも約3割減という最悪な状況に。
そして、赤松署の初めの発表に対して業界からの批判が殺到。
営業妨害として批判された捜査課は、「手首ラーメンは、複数の状況から売られた事実はない」と改めて「騒動の否定」をしました。
まとめ: 手首ラーメン事件
今回は実際に起きた手首ラーメン事件から、その関連騒動について紹介させていただきました。
警察としても「やっぱり入ってました」なんて、言える訳ないので「入ってなかった」としか言えませんもんね・・・・。(やっぱり入ってたのかな)
という訳で今回のまとめ
- 手首ラーメン事件は1978年7月5日に発覚した事件
- 暴力団の抗争から発生したバラバラ事件
- 殺害された暴力団員の両手がラーメンの出汁に使われたという
- 警察の発表では「ラーメンに両手が使われた事実はない」
- 警察は営業妨害とラーメン業界から激しい批判
- 「ラーメン業界の売り上げ約3割減」
- 主犯格1人は懲役17年、共犯者4人は8~12年