こんにちは^^タクヤンです。
今回お話しするのは
筋弛緩剤点滴事件
です。
2000代初頭に起きた殺人事件としてかなり有名な事件です。
画像出典: 守大助さんはこんな人
筋弛緩剤点滴事件の概要
”筋弛緩剤点滴事件”は宮城県仙台市泉区のクリニックで1999年~2000年にかけて患者が急変・死亡した事例が20人以上にも及んだ事件の事。
クリニックはその後ずさんな管理体制や多額の負債などで2001年に閉鎖しています。
筋弛緩剤点滴事件の容疑者とその予想犯行動機
森大助さん
容疑者は「守 大助(もりだいすけ)」。
このクリニックで死亡事例が起きた時期から勤務を始めており、彼が担当している患者にこのような死亡事例が目立ったのでまず第一容疑者に挙げられた。
そこで2001年12月4日に彼が私物を病院に取りに行きその時に廃棄物処理をする為に箱を廃棄小屋に捨てようと際に私服警官が呼び止めた。
その箱の中身を確認すると筋弛緩剤の空アンプルが見つかり更に在庫のアンプルを確認すると彼が20アンプル発注する一方、23アンプルは使用用途不明であった。
このことから彼は1件の殺人と4件の殺人未遂で宮城県警に逮捕された。
犯行動機はこう予想されている。
彼は救命措置などで評価が高かったので待遇面で優遇されるだろうと期待していたが資格と経験年数相応の待遇であったことが不満だったので容体急変場面を自ら作りあげ得意の救急措置を活かして活躍したかった。
これが正しいのであればあまりにも身勝手な犯行動機であるといわれているが、彼は始めの取り調べは自供したが3日後からは犯行否認に転じている。
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筋弛緩剤点滴事件の犯人の犯行手口
2000年10月31日に当時11歳の女児に対して抗生剤を点滴する処置を取ったが容体が急変。
急いで病院へ搬送、一命は取り留めたが脳に障害が残ってしまい植物状態になってしまい今現在でも意識が回復していない状態。
他にも
発生日 | |
---|---|
2000年
2月2日 |
女児(当時1歳)を渋滞に至らしめた |
2000年
11月13日 |
男児(当時4歳)に筋弛緩剤を混入させ渋滞に至らしめた |
2000年
11月24日 |
女性(当時89歳)に筋弛緩剤を注射針で刺して混入させ殺害した |
2000年
11月24日 |
男性(当時45歳)に筋弛緩剤混入の抗生剤を用いて呼吸困難に至らしめた |
犯行手口は至って簡単で、点滴液に筋弛緩剤という筋肉への脳からの信号を弱める薬を使用。
同時に人工呼吸器を付けさせないことで呼吸不全を引き起こさせ死亡させる。
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筋弛緩剤点滴事件での裁判でのやり取り
裁判では以下の点で彼の無罪が主張された。
- 筋弛緩剤が混入されてから数日後に大量の筋弛緩剤が血液からは検出されることはない
- 患者に投与されたという事実は存在しない
- 5人の容体急変は個人による意図的ではない
- 被害者の血液サンプルは全て使われているので捜査側のねつ造では?
しかしこれでも2004年には無期懲役が言い渡された。
それに対して2005年に弁護側が独自の調査やコンピューター調査、外国論文などを用いた新たな解析を請求したが、裁判所は必要性がないとして却下。
これに対して弁護側が反発しこの次の裁判で途中退席した。
さらに高裁判決日に弁護側が声を荒げたので不規則発言をしたとして同じく声を荒げていた被告人も一緒に退廷を命じられる始末。
最終的に被告人と弁護人がいない状態で控訴棄却判決が言い渡される。
そして2008年に最高裁判所で無期懲役が言い渡された。
筋弛緩剤点滴事件の容疑者と被害者の現在は?
守受刑者は今現在千葉刑務所に収監されており2012年に2月10日に再審請求をしているが、2014年に棄却されている。
そして被害者の当時11歳の女児は今現在も意識は回復していない。
これに対して彼女の家族が病院と受刑者に対して民事訴訟を引き起こし2008年5月28日に5000万円の支払いを命じた。
最高裁判決として確定しており、現在は返還請求中。
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終わりに
この事件は解決しているんじゃね?
と思っているんですが本人は犯行を否定しているので今だに未解決事件として扱われていますが、裁判所が認めている事件でもありますので今後この判決が覆るのは難しいのではないでしょうか?
本当に彼が犯人かどうかは不明ですが状況証拠とかを調べてみると明らかに黒に近いんですよね・・・。
しかしながら警察の取り調べの強要など犯人と決めつけた異常な取り調べで犯人と認めてしまったのであればまだ無実なのかもしれません。
なんにせよ、患者に対してこのような悪質な犯罪は絶対に許されるべきではありません。
被害者の方の回復を祈るのみです。
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