今回お話するのは
わずか40秒の出来事
松岡伸矢くん行方不明事件
です。
松岡伸矢くん行方不明事件とは?
松岡伸矢くん行方不明事件は1989年に徳島県貞光町で発生した未解決事件。
当時4歳の松岡伸矢君が親戚の家に訪れていた時、親が目を離したわずか40秒で姿を消した・・・・。
誘拐なのか、子供特有の好奇心故に起きたのか・・・・。
2018年には記憶喪失の男性が、この事件で行方不明になった松岡伸矢君ではないかと話題になった。
- 行方不明: 1名
- 事件性: 不明
- 現場: 徳島県貞光町
松岡伸矢君とご家族
松岡伸矢くんの一家は茨城県牛久市に住んでいた。
家族は
- 父: 正伸さん
- 母:圭子さん
- 長女
- 伸矢くん
- 次男(当時2歳)
の5人暮らし。
正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めており、1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。
それまでは、深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったという。
松岡伸矢くんの失踪
伸矢君が失踪した年の3月5日に、母の圭子さんの実母が急死。
6日に一家は徳島県小松島市で行われた葬儀に参列。
その後、車で1時間ほどの貞光町の圭子さんの親戚宅で1泊した。
翌7日午前8時ごろに正伸さんは、3人の子供と従兄弟を連れて近所に散歩。
朝食前なので、10分ほどで散歩は切り上げている。
このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。
まわりに家はない。
子供たちははしゃぎながら正伸さんについていき、家の玄関先まで10mほどの石段を上った玄関先まで伸矢君がついてきたことを父親は記憶している。
伸矢君はもっと散歩したそうだった。
そこで、正伸さんは抱いていた次男を、家にいた圭子さんに手渡した。
そして、玄関に戻ってみると伸矢君の姿はなかったという。
この間は、わずか40秒ほどしかたっていない。
伸矢君がいないことに気づいた正伸さんは、家族と親類、地元の消防団と共に捜索に加わったが、見つけることが出来ず、午前10時に警察に通報。
ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。
自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。
警察による捜査
当初、警察は以下のことを理由に
- 現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない
- 失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった
- 松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない
- 周辺に交通事故の痕跡はない
失踪当日には山間部での大捜索が行われた。
- 貞光署、県警機動隊、地元消防員、消防署: 100人以上
が動員され、翌日には200人が動員された。
大規模捜索を3ヶ月ほど続けたが、結局伸矢君を見つけることはできなかった。
事件後の怪しい電話
伸矢君失踪後、捜索が行われると同じ頃、親せき宅の電話にテープレコーダーを取り付けた。
何かしら電話が掛かってきたときの為である。
そして、一家が牛久市に帰宅する前日の16日に、1本の奇妙の電話が掛かってきたという。
徳島弁独特のアクセントの女性の声で、「ナカハラマリコの母親」と名乗り、
圭子さんは明日帰りますと伝えたが、その後その女性からの電話はなかった。
見舞金について尋ねると、幼稚園側は見舞金を集めたという事実はなかった。
もちろん、ナカハラマリコという子供もいないことが判明。
では、いったい誰だったのか?
- 茨城県に住んでいるはずの女性が、何故松岡さんの親戚の電話番号をしっていたのか
- 正伸さんから電話を替わる時に「誰かわからないけど、徳島弁だよ」と言っていた
- 徳島県の人だとして、伸矢君の姉の幼稚園まで知っていた
以上のことから、少なくとも松岡さん一家の事情を知っている人間の電話であることは言える。
ただ、それが手掛かりになることはなかった。
全国各地での発見情報
伸矢君の失踪後、正伸さんは会社勤めを辞め、自営業に切り替えた。
捜索の時間を少しでも持てるようにするためである。
さらに、50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。
その結果、目撃証言は多くよせられ、信憑性の低いものから高いものまで寄せられたという。
それらは全国で伸矢君を見かけたというものである。
90年4月 徳島の主婦
この連絡は正伸さんの家に直接入り、すぐにその人物と会った。
その後、徳島県警本部に証言に出ていた子供の人物特定を依頼したが、そのあと本部から連絡はなかった。
正伸さんが電話を入れると、担当の警部は「私の父が亡くなり、ばたばたしていましたので・・・」と
言った。
その後、手がかりなし。
90年 山形県
この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをした。
この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。
91年 四国の「大竜寺」
圭子さんがこの証言を聞いて、寺でその3人の姿を待ちつづけたが、現れなかった。
北海道の倶知安町に住む老人
これも決め手にはならなかった。
97年 OL
心配になったOLは少年に声をかけると、
という話を聞いたという。
OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。
(その場で警察に相談していない時点で胡散臭いことこの上ないが・・・・)
98年 中国地方にあるレンタルビデオ店店員
応対した店員はすぐに店長に報告、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行った。
ただ、すでにその姿はなく、警察に通報したという。その後の手がかりはなし。
00年 圭子さんの親友の知り合い
目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていた。
男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う。
2018年「和田竜人」さん
2014年に、愛知県弥富市のショッピングセンター内トイレで1人の男性が保護された。
その男性は聴取に対し、筆談で
と名乗った。17年間「おじさん」に軟禁されており、脱走したが脱走後の記憶はないという。
発見当時、彼は25歳と答えた。
何故年齢を覚えているのかというと、1997年8月21日におじさんに5歳と教えられたためとのこと。
23歳の時に脱走し、その時の家の表札に「和田」と書いてあったので、「和田竜人」と名乗っている。
記憶喪失の為、自分の名前などが思い出せないというが、伸矢君の父親に似ているとの問い合わせも多かったことから、DNA鑑定が行われた。
結果として、三重県四日市市の28歳男性である可能性が高い結果が出た。
つまり伸矢君ではなく、事件の解決には至らなかった。
まとめ: 松岡伸矢くん行方不明事件
和田竜人さんが伸矢君ではないかと当時は話題になっていました。
結果としては残念です。
わずか40秒で行方不明になり、証言からも本当に誘拐なのかどうかも怪しい事件。
どんな形であれ、解決することを願っています。
今回のまとめ
- 松岡伸矢くん行方不明事件は1989年に発生した未解決事件
- 徳島県貞光町で当時4歳の松岡伸矢君が行方不明に
- 親が目を離した40秒という時間で失踪
- 警察は事件性はないと判断し、大規模の捜索を実施
- 全国各地から伸矢君の目撃証言があった
- 和田竜人さんという方が保護され、伸矢君ではと話題に
- DNA鑑定で本人ではないと判明
奥さんはいますか。
成蹊幼稚園(伸矢くんの姉が通っていた幼稚園)の月組の父兄です。
幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。
もう帰ってくるんですか?