今回お話するのは
シリアルキラー
西口彰事件
です。
西口彰事件とは
西口彰事件は1963年~64年に九州で発生した連続殺人事件。
犯人は殺人犯として指名手配されながらも、逃走中に身分を偽って詐欺・殺人を繰り返した。
日本のシリアルキラーが誕生した事件でもある。
5人の人間を殺害し、最後は女子小学生に姿を見破られ逮捕された。
全国の警察は西口逮捕の為に賢明な捜査を続けた。しかし結果的に全国12万人の警察の目は一人の幼い少女の目に及ばなかった
とまで言われた事件である。
- 犠牲者: 5人
- 犯人: 死刑執行済み
犯人: 西口彰
西口彰事件の犯人はその事件の名前となった男。
日本のシリアルキラーという最高に不名誉な称号を持っている。
日本では「詐欺師」と「殺人犯」、つまり
- 暴力型(殺人犯)
- 知能型(詐欺師)
は両方相反するタイプであり、普通は両立することはあり得ないとされています。
しかし、この西口は両方を両立させた犯罪史では珍しい貴重なケースの殺人鬼だとか・・・。
誕生~戦前
西口は1925年に大阪のカトリックの家で誕生し、5歳の時には洗礼を受けた。
その後、戦前に大分県の別府市に引っ越しをしたが家出。
窃盗と詐欺を行い岩国の少年院に入った。
その翌年には出所をして大阪に戻ったが、また恐喝や詐欺で刑務所に入ったという。
だが、珍しくシリアルキラーの中では
「少年期や小さいころに自分に大きな影響を及ぼす環境」
といった事例がほぼ見受けられない経歴である。
つまり、至ってどこにでもいるようなワルな青年の経歴といえる。
結婚と愛人
そして終戦直後と出所後に1つ下の女性と結婚し、3人の子供を授かった。
その後運転免許を取り、妻子は大分の両親に預け、自分は行橋市(福岡県)で1963年10月5日まで運転手の仕事をしていたという。
そして、西口は妻が近くにいないことをいいことに
- 理容師の女性
- 飲食店店員
などを愛人にし、その他にも
- 理容師の見習い
- 理容師女性の娘
にも手を出そうとしていたという。
この時も西口は詐欺を行っており、
自分は大卒で、両親は別府市の資産家であり、パチンコ店と旅館を経営している
と騙して愛人を作っていたという。(若く見え、口がうまいこともあって成功している)
西口彰事件の流れ
ここでは西口彰が引き起こした連続殺人事件と警察からの逃亡についてわかる範囲で紹介していきます。
- 最初の殺人
- 事件発覚と逃亡
- 自分の死の偽装
- 逃亡と詐欺行為
- 3人の殺害
- 小学生に見抜かれ逮捕
この順番で見ていきましょう。
最初の殺人
西口はあることを計画して1963年10月18日に実行した。
専売公社(今の日本たばこ産業の前身)の知り合いの村田さんのトラックを待ち受けて乗車。
タバコ配達に付き合い、タバコ配達と集金を行っていた
- 村田幾男(当時58歳)
- 森五郎(当時38歳)
の2名を殺害し、27万円を奪って逃走。
- 村田さんはキリのようなもので刺されて血まみれで死亡
- 森さんは村田さんから約2㎞離れたところで手拭いで絞殺
事件発覚と逃亡
18日に2名の遺体が発見され、犯人は西口彰とすぐに判明しました。
というのもとある目撃証言と物証証言が発見されたからです。
- 目撃証言: 殺害された村田さんの家族が一緒にいるところを目撃
- 物証証言: 残された指紋が一致、西口の家から血の付いた衣類
このことから西口彰が2名を殺害したとして指名手配。
一方西口は19日に女性と旅館に訪れたが、20日の朝の朝刊で自分の顔写真と名前が載っているのを発見。
殺人犯・西口彰は関西方面へ高飛びし、警察は厳重な手配と捜査を大阪府警に依頼
という情報も得たことから、九州に留まることを決めた。
また、根っからのギャンブル好きということもあり、21日には競艇で21万円を稼いでいた。
自分の死の偽装
21日の夕刊で自分が指名手配されていることを知った西口は、行橋市の警察と妻に手紙を送った。
警察署や世間を騒がせて申し訳ないと思っている。捕まって笑われるようなことはしない。---東京にて記す。
行橋署宛て
捕まって世間に笑われるようなことは絶対にしない。死ぬつもりだ。
妻宛て
そして、10月24日に岡山県と香川県の間を結ぶ連絡船「瀬戸丸」の甲板で、背広の上着と黒い革靴が置かれており、その上着のポケットには2通のハガキが入ってあるのを乗客が目撃。
先だって平和台の野球を見に行って泊まった者です。
旅館を出る時私の旅行カバン、日用品、靴を預けた者です。
これについては後で連絡する。
荷造りして送ってください。
先立つ不孝許してください。
今度は本当にご迷惑を掛けました。
胸が一杯で何も書けません。
御元気で何時迄も御幸にね。
馬鹿な彰を許してください。
この道を選ぶより外はなかったのです。
文面は「旅館宛て(1枚目)」と「長男宛て(2枚目)」が記されており、西口は投身自殺をしたと思われたが、警察は「してない」と判断。
事実、西口は自殺しておらず船乗り場近くの質店で靴を購入し、旅館に宿泊していた。
そして、西口はこれ以降逮捕まで全国を逃亡し続けた。
逃亡と詐欺行為
逃亡を始めた西口は「京都大学の高橋教授」と身分を偽っていた。
旅館「ふじみ」に宿泊する時も「静岡大学から電話がかかってくるかもしれない」と言い、外から自分で電話をかけて
京大の高橋先生はいらっしゃいますか。こちらは静岡大学の者ですが。
と信用を得て、旅館の女将・藤田さんと意気投合し関係を結んだりしていた。
このように大学教授という身分を偽って西口は詐欺行為を繰り返した。
また、途中で「弁護士」と偽ったりもしていたという。
広島 | 所持金が少ないことを理由に詐欺を行った。 カトリック教会の神父に 「施設にテレビを寄付したいので電気器具商を紹介してくれ」 と言って紹介状をもらい、テレビ5台を詐取して4台を質に入れた。 |
千葉 12月3日 | 千葉地裁の会計課職員と称して、息子の交通違反の罰金を払いに来た女性から6000円をだまし取った。 また、この時弁護士会館で弁護士名簿をだまし取り、ここから弁護士と名乗った。 そして、大胆にも千葉刑務所の待合室に入り込んで、窃盗罪で拘留されていた男の子の保釈金を用意していた女性から5万円をだまし取った。 |
福島県 〃5日 | 福島県いわき市の弁護士事務所に訪れて、そこから弁護士バッジを盗んだ。 その弁護士バッジを上着の襟につけて北海道に渡った。 |
北海道 〃7日 | 弁護士バッジを付けた西口は門別町の洋品呉服店に訪れ、そこで1万5000円を騙し取って東京に逃亡。 |
東京都 〃9日 | 東京都中央区日本橋でとある男性に詐欺行為を働いた。 「家出した男性の弟が証券セールスマンが名古屋で証券詐欺をしている」 という情報を仕入れて、男性に保釈手続きの為と偽って4万円を騙し取った。 |
栃木県 〃17日 | 栃木市内の旅館に弁護士を偽って宿泊。 代金770円を踏み倒したうえ、市内の弁護士宅を訪れて汽車代1000円を騙し取った。 |
東京都 〃29日 | 豊島雑司ヶ谷のアパートで殺害した男性の家を訪れた当時57歳の男性から保釈金名目で現金をだまし取った。 そして東京地裁で同じく保釈金を騙し取った。 |
3人の殺害
詐欺行為を行い続けた西口は同じく殺人も繰り返した。
1963年 11月18日 | 旅館「ふじみ」で、藤田さんと母はる江さんの2名を絞殺。 貴金属と衣類を奪って質屋に入れて15万円を手に入れている。 |
〃 12月29日 | 東京都のアパートで元検事の弁護士・神吉梅松さん(当時81歳)を絞殺。 腕時計と弁護士バッジなど14万円相当を奪い、神吉さんの遺体を部屋のタンスに入れて4日間そこで過ごした。 |
騙したとはいえ、関係を持った女性とその母を殺害、絞殺した弁護士さんの遺体と同じ家で4日間過ごす。
普通に考えなくても常軌を逸した殺人行為と言えます。
小学生に見抜かれ逮捕
西口が最後に訪れたのが、熊本県玉名市で福岡事件という事件での支援を行っていた古川泰龍であった。
西口は「東京の文京区の川村角治弁護士」と偽り、運動で協力したいと名乗った。
2人の面識は特にないが、西口が以前に詐欺行為で服役していた時、福岡刑務所に訪れに来た古川氏の顔を覚えており、訪れたのであった。
当然、事件への協力に古川氏は感謝し2人で話し合い、特に西口は死刑論について熱く語っていたという。
西口が床に着いたところ、古川市の次女の小学生A子(当時11歳)が父にあることを知らせた。
お父さん、あのお客さん。ポスターにあった殺人犯の西口にそっくりだよ
A子さんは、学校の登校道に貼ってあった西口の指名手配のポスターを、興味深く見ていたことによる発言であった。(曰く、「西口」と1文字違いの名前の友人がいたから)
小学生らしい動機ではあるが、この奇跡的な偶然がこの事件を解決に導いたのであった。
当初、父親は「そんな失礼なことを言うな」と怒っていたが、改めて指名手配のポスターや、西口の行動を思い返してみると、
- 身長やホクロといった身体的特徴が見事に一致
- 東大卒の弁護士と名乗りながら有名教授の名を知らない
- 「自由法曹団」という字を「自由法曹院」と間違う
というトリプルパンチであった。
古川氏は感づかれれば一家が殺されるという恐怖の中で、家族と話し合い、子供部屋に鍵をかけ、西口が寝静まったのを確認した上で警察に通報。
翌朝に駆けつけた警察によって、西口彰は逮捕されたのであった。
この時の西口の警官に対する言葉は以下であった。
弁護士の川村角治だ。何の用かね
西口彰事件の裁判と判決
逮捕された西口彰は犯行動機は
借金返済と、愛人の理容師の歓心を買う為
であり、逃亡中「一度も疑われたことはない」と豪語していた。
そんな彼は
- 5件の殺人
- 10件の詐欺
- 2件の窃盗
で起訴され、検察及び裁判所は以下の判決を下した。
- 1964年11月: 検察が死刑求刑
- 1965年1月2日: 福岡地裁小倉支部が死刑判決
- 同年8月28日: 福岡高裁が控訴を棄却
- 1966年8月15日: 西口が上告を取り下げ、死刑が確定
また、検察や福岡地裁の小倉支部、裁判長は西口に対して
神も許さず、人もまた許すことのできない凶悪犯罪人である
史上最高の黒い金メダルチャンピオン
悪魔の申し子
と形容した。
その後は死刑執行まで展示翻訳のボランティアに励んだ。
西口彰の死刑執行と残した言葉
西口彰は1970年12月11日に死刑が執行され44歳という生涯に幕を閉じた。
また、「罪は海よりも深い」という大学ノート8冊分の手記を記した。
私が刑場に引かれる姿を想像して笑ってください
当然の制裁でありましょう
長いことお騒がせいたし恐縮です
失礼いたしました
と記されており、息子がグレて学校に行かなくなったことを知った時は、20枚以上の手紙を書いたりもした。
この手紙で息子が立ち直ったことを知って安堵したりもしたとか。
まとめ: 西口彰事件
今回は日本のシリアルキラー西口彰について紹介させていただきました。
詐欺と殺人を繰り返したこの男はかなり珍しい例ですが、だからと言って罪が軽くなることはありません。
という訳で今回のまとめ
- 西口彰事件は1962~62年に発生した連続殺人事件
- 犯人は西口彰
- 詐欺行為と殺人行為を逃亡中も続けたシリアルキラー
- 5名を殺害、10件の詐欺、窃盗2件で起訴
- 犯行動機は「借金返済と愛人の気を引くため」
- 死刑判決を受けて死刑執行済み