今回お話するのは
原爆を積んだ飛行機の衝突事故
パロマレス米軍機墜落事故
です。
航空機事故の中では最も考えたくない航空機事故の一つです。
パロマレス米軍機墜落事故とは?
パロマレス米軍機墜落事故は1966年1月にスペインで発生した墜落事故。
冷戦中にソ連に対する作戦任務中、核爆弾を4つ積んだ爆撃機が空中衝突事故を起こした。
核爆発こそはしなかったものの、スペインの土地は汚染されてしまった悲惨な事件です。
- 死者: 7名
- 被害: スペインのパロマレスの汚染
パロマレス米軍機墜落事故: 事故の発生
クロームドーム作戦(冷戦中にソ連に対する素早い報復攻撃を行う作戦)に参戦していた軍用機
- 爆撃機B-52G(乗員7人)
- 給油機KC-135A(乗員4人)
が地中海3万1000フィートで空中給油中に衝突事故を起こしてしまいました。
爆撃機側は3人が死亡し、給油機側は4人が全員死亡しました。
さらに最悪なことに爆撃機には4個の水爆が積まれていました。
その爆弾の3つがパロマレス(スペイン南部)に落下。1つは地中海に落下してしまいました。
パロマレス米軍機墜落事故: 土地の汚染&処理
事故直後、安全性をアピールするという名目であるパフォーマンスが行われました。
それがスペインの情報観光大使大臣と在スペインアメリカ大使が、記者の前で海で2回ほど泳ぐというパフォーマンス。
では、それ以外の対応はどうしたのか見ていきましょう。
土地に落下した爆弾
この事故直後、3つの爆弾の内1つは無傷で発見されました。
ただ、ほかの2個はそうではありませんでした。
核爆発こそしなかったものの、起爆用の火薬が爆発してしまったので、ウランやプルトニウムなどが周囲2㎞の土地がすべて汚染されてしまったのです。
アメリカはこの土を1750トン以上を除去してサウスカロライナ州の核施設に運びましたが、未だにプルトニウムが残っていたりしています。
海に落ちた爆弾処理
海に落下した爆弾は米海軍が80日間の探索の後、引き上げられましたが、この時に海軍ダイバーのカール・ブラシア。
この男性は事故により脚に重傷を負い、のちに切断をしてしまいました。
事故発生後の汚染地
事故後、爆弾の落下地点付近では住民が農業を続けていました。
ただ、2004年にスペイン政府が2ヘクタールを買収し、2007年までにフェンスで封鎖していました。
当然、政府の環境技術センターは「大気中の放射線値は国際基準値より低いので、住民の健康に影響はない」と主張。
ただ、環境団体は「カタツムリから通常より高い放射線を上回る値が検出された。大気中の放射線値も基準を上回っている。」と主張。
2015年に除染協力宣言
そして、2015年にスペインとアメリカがとある協定を結びました。
それは「汚染地域の汚染土壌を「どの国が」「どのように」「いくらかけて」アメリカに運ぶか」を詳細に決めることでした。
米国務長官は「必要な援助を行うつもり」と述べ、スペインのマリガージョ外務大臣も「50年間の過ちを修復できる」と発言。
まとめ: パロマレス米軍機墜落事故はこんな事故
今回はアメリカ軍機の事故パロマレス米軍機墜落事故について紹介させていただきました。
核爆弾が積んだ飛行機って扱いはかなり慎重にならないといけませんね。
ましてや、これが自分の国で起こったと考えると・・・・。
という訳で今回のまとめ
- パロマレス米軍墜落事故は1966年1月に発生した事故
- 核爆弾4つを積んだ爆撃機が給油機と空中で衝突事故
- 両機の乗員合計7名が死亡
- 爆弾3つはスペインのパロマレスに落下(1つは地中海に)
- 起爆用火薬が爆発し、2つの爆弾から放射性物質が飛散
- 海中の爆弾は回収(ダイバーが足を切断)
- パロマレスは今現在も汚染されている状況
- 2015年にアメリカがスペインと除染で協力する同意宣言