今回お話しするのは
日本初のバラバラ殺人事件?
鈴弁殺し事件
です。
日本の歴史上で確認できるだけなので、それ以前もあったでしょうが、公的に確認できる事件のことです。
鈴弁殺し事件とは?
鈴弁殺し事件とは1919年の大正8年6月に、新潟県で発生したバラバラ殺人事件です。
日本ではこの事件が初めてとなるバラバラ殺人事件。
- 一人が死亡
- 3人が逮捕
という結果になった事件です。
鈴弁殺し事件: 関係者たち
この事件には4人の被害者・加害者が出てきますが、特に中心となったのは2人です。
- 被害者: 横浜の外米商「鈴木弁蔵(当時64歳)」
- 加害者: 農商務外米部「山田憲(当時30歳)」
この二人の名前から、この事件は
山憲事件
鈴弁殺し事件
と呼称されています。以下は鈴弁殺し事件で。
鈴弁殺し事件: 事件の流れ
では、この日本初といわれているバラバラ殺人事件。
一体全体なぜ起きたのか?原因から事件発覚まで見ていきましょう。
- 事件当時の時代背景
- 被害者と加害者の出会い
- 事件発生
- 偽装工作
- 事件発覚
この順番で見ていきます。
1: 事件当時の時代背景
被害者の鈴木弁蔵(以下A)は高利貸しと外米輸入商の両方の事業で財を成していた。
だが、さらなる財を求めて米を買い占めたりしていた。
当時は、Aのように米を買い占めて売り惜しみ、コメの価格を値上げさせる悪徳業者も多く、政府はある対策をとるしかありませんでした。
それが
「外国の米を輸入して米の価格を調整させよう」
そして、この組織が農商務省に設置され、外米問題専門家の山田(以下B)が主任技師として任命されました。
山田氏は政府からの命令で
- 外米の売買
- 手数料の授与
- 損失時の補償
などができる財源・信用共に信頼ある商店を探していました。
- 三井物産
- 湯浅商店
- 鈴木商店
- 岩井商店
などが候補でしたがもちろん、こんなうまい話をAが見過ごすはずもなく、なんとか取り入ってもらおうとしていました。
2: 被害者と加害者の出会い
Bの妻は静岡出身の漆間という代議士の娘さんであった。
そこに目を付けたAは漆間を仲介してBさんと事件前年の夏に出会いました。
そこから、Aは「インドにBが調査に行くときは次男を同行」させたりして自分が外米の指定商に選ばれるように仕向けてきました。
さらにはBさんを罠にはめる為、米相場に手を出させて借金をさせ、指定商にするように仕向けてきました。
Bさんは「では15万円を用意してくれ(賄賂)」とAに頼み、その金額を自分の借金の為に利用。
Aは指定商にいつまでたっても選ばれないことに苛立ち、Bさんに連日返金を求めた。
3: 事件発生
この連日の返済の要求に耐えられなくなったBはついに耐えられなくなり、Aを殺害することを決意。
そこで、当時Bが可愛がっていた後輩のCと共に、鈴木弁蔵を現品川区のBの自宅に招いた。
そして、Aを打ち合わせ通りにバットで殴り、首を絞めて絞殺した。
4: 偽装工作
ただ、ここで遺体の処理の問題が発生した。
そこで、鋸でAを切断し、トランク2個に分けて処理することに。
Bは後輩のCと親類のDに依頼して新潟県に運ぶように依頼。
二人はそれぞれとある手紙を受取り、新潟の船頭の所へ向かいました。
その船頭はかつてBが下宿していたこともあり、死体を遺棄するには打ってつけと考えられたんでしょう。
そこで、Bは「亡くなった船頭の母親への悔やみと10万円の香典が添えられた手紙」で釣ることにした。
船頭の家族は特に疑うこともなくCとDを迎え、荷物を運んでほしいというお願いも船頭は快く引き受けてくれました。
CとDは船で荷物を運んでいる最中、深さ6m付近の川の所でこう船頭に話した。
「実は荷物にはご禁制の爆弾や剣があり、Bさんが内緒で持って帰ってきたもの。内密に処理したいんだ」
と言い、バラバラにされたAが入ったトランク2個を川に沈め、船頭個人に5万円を渡し口封じを図った。
5: 事件発覚
ただ、バラバラにされた遺体からガスが出てくることを知らなかった3人。
これが誤算。
沈むはずのトランクは浮かび上がり、信濃川の岸辺に流れ着いてしまった。
それを牛乳配達人が発見したことで事件が発覚。
また、トランクの側面には「山田憲」のイニシャル「A.Y」が彫られていたこともあり、直ぐに解決・・・・・とまではいきませんでした。
いくら警察といえど、官僚に対して勝手に捜査は出来ませんし、取り調べもできませんでした。
そこで、警察は司法省に根回ししてBを休職させてから逮捕。
取り調べで、共犯の2人も逮捕されました。
共犯の2人はトランクを運ぶとき、和装の服に、洋装のパナマ帽をかぶった格好。
片田舎ということもあり、結構目立ったそうです。
主犯の山田も遺体発見を受け、警察の知り合いに「後輩が殺したことを相談してきた。自首させたい」と切り出したが普通に疑われたそうです。
鈴弁殺し事件: 裁判と最終判決
事件は
- 官僚による猟奇殺人
- 日本初のバラバラ殺人事件
- 当時珍しい野球のバットを用いた殺人
ということもあってかなり注目されました。
ただ、
- 世間はAが悪徳商人であるということ
- Bが人殺しをする人ではなかったという雑誌掲載の談話
から、世間はBに対して肩を持つ風潮でした。
Bも「彼は暴利をむさぼる商人だったので天誅を加えた」
と主張しましたが、裁判では
「ただ金銭のもつれから殺害したに過ぎない」
と判断され最終判決は
- 主犯格B: 死刑判決
- 後輩C: 懲役15年
- 親族D: 懲役1年半
となりました。(Dは遺体遺棄のみだからと考えられる)
そして、2年後の1921年に市ヶ谷にて主犯山田憲の死刑が執行され、事件は幕を閉じました。
まとめ: 鈴弁殺し事件はこんな事件
これが鈴弁殺し事件の全貌となります。
さらなる利益を追求して、あくどい行いをしてきた男を殺害し、バラバラにした人間の話です。
これだけ聞けば悪くないように感じますが、加害者も被害者を騙していますし、そもそも人を殺しているので駄目です。
という訳で今回のまとめ
- 鈴弁殺し事件は1919年に発生した殺人事件
- 日本初のバラバラ殺人事件
- 被害者は悪徳米商人の「鈴木弁蔵」
- 加害者は農商務省の官僚「山田憲」
- 金の為山田に取り入ろうと近づいた
- 借金をさせたりする金銭的なトラブルから鈴木弁蔵を殺害
- バラバラにして2人の共犯が遺体をスーツケースに
- 川に遺棄したが誤算から発覚
- 主犯格は死刑、共犯者は懲役刑となった