津山事件のその後と社会的影響
この事件は前代未聞の事件としてラジオや新聞などのマスコミが大きく報道し、「少年倶楽部」までもがこの事件を特集しました。
さらに、この事件での被害者があまりにも多くて一家全滅なども多かったために事件の詳細を語る生存者も少ないんです。
さらに、都井家の親族でもあり襲撃を受けなかった一家は「企みを前から知っていたがわざと隠していた」など疑われてしまい、村八分に近い扱いを受ける始末。
さらに、有識者の間では警察の取り締まりに対する不備を批判したり、またドイツ帝国でおきた「ワグナー事件」との類似性を指摘して「医学上の研究対象にしたかった」と都井の自殺を惜しむ人もいたほどです。
【ワグナー事件】ドイツで起きた大量殺人事件の詳細と津山事件の詳細は?
都井にすべての罪を擦り付ける形になっているが、生存者がほとんどいない状態で都井自身も自殺をしているので事件の本当の真実は消えていき、犯行動機の女性も結局は見つからずすべて不明になった。
そのため、70年以上たった今でも現地でこの話をするのはタブーであり、この付近では「八つ墓村のモデルの事件があった村はどこですか?」と聞くのは当時やそれ以降の騒動を思い出させるのでやらない方がいい。
そして日本でも有名な「杉沢村」のモデルともなっていると考えられている事件となっている。
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津山事件が発生した貝尾や「寺井ゆりこ」の現在は?
事件が起きた貝尾集落の都井睦雄の住んでいた家の廃墟が2015年に取り壊されました。
そして事件当時23世帯111人であったが2010年の調査では13世帯の37人の限界集落化。
被害が出なかった世帯も事件後貝尾を離れ、廃墟となっている家屋もあるが、事件当時から今も貝尾に住んでいるという人はもう誰一人もいないです。
また、都井の幼馴染の女性は事件後は貝尾を離れており、今も存命であれば90歳を軽く超えているが別の集落でも「原因を作った張本人」と地域社会から孤立してしまっているとのことです。
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事件の犯人「都井睦雄」の姉の事件後は?
彼のお姉さんは事件後姿をくらましており、「ダークサイドJAPAN」の2001年10月号にあった噂レベルの情報をもとにしてある場所に行ったら実際に彼のお姉さんが経営していたうどん屋さんがあったそうです。
この雑誌には
- お姉さんは1996~97年頃に亡くなった
- 亡くなるまでは元気にうどん屋を経営
- 根は明るい人
- 気さくに明るく振舞っていた
- 事件の話は全然話さなかった
等が記されていました。
まとめ
この事件の恐ろしいのは犯人が冷静にこの犯行を行っていたことです。
女性関係からこのような事件に発展した事件と言われていますが、ここまで行くともはや狂気の一種ですね。
あの「祟りじゃ~」の映画を昔見た時、このシーンは今でも覚えています。
あの時は小さかったので「作り物作り物・・・・」と思ってみていましたが、大きくなってから実際にあった事件を元に作られていると知るとまた違う見方になってしまいます・・・。
もしあんな事が今現実で起きると、普段から妄想で無双している管理人だったら必死に命乞いしておそらく殺されているでしょう。
というわけで今回のまとめ
- 津山事件は1938年に岡山県で発生した大量殺人事件
- 日本の歴史上最悪クラスの死亡人数の30人以上
- 犯人の都井睦夫は事件後自殺
- 事件後,原因とされた女性は村八分
- 事件の現場となった集落は限界集落化
- 犯人の姉はうどん屋を最近まで経営
↓戦時下やその直後に起きた悲惨な事件